逃げるは恥ではない

諦めることは悪ではない。むしろ善である。

世の中では諦めること🟰逃げ🟰悪

など悪いように見えがちだが、諦めることで幸せになることのほうが多いと思う。

諦めずに追い続けても、叶わなければ、苦しみがずっと続くだけ、それなら諦めるほうが楽だし、新しい視点で物事の判断もつきやすいから。

逆に諦められない、逃げれない、そんな状態のほうが不幸だと思う。

生物は本能で逃げたりする。それは当たり前であり、生存するための必要なことである。

しかし、人間という生き物はなぜか逃げたらいけないなどとおかしなことをいう。

もちろん、逃げ続けたら人生がおわる、とかいう人もいるが、そう簡単に終わらないと思う。

いっそのこと人生を終わるくらい、嫌なことがあれば逃げ続ける生き方のほうが幸せなんじゃないかと思う。

逃げる、諦める、選択肢をいつでも持っていれば、気持ちも楽になり、視野も狭くならず正常な判断ができる。

自分で追い詰め、逃げないと考えるから、周りが見えなくなり、精神を壊してしまう。

世の中には諦め方、逃げ方を知らない人が多すぎる。

もっと自分に優しく、本能に従って生きてもいいと思う。 結局結果なんてどっちを選んでもわからないし。 でも自分を大切にする選択を選んで、そうそう悪い結果にはならないと思います。

 

悩み

モテたい、恋人がほしい、頭をつかわず生きていきたい。楽に生きたい。

本当にただそれだけ。

何をすればいいのかわからない。

まじでなんもやる気が起きない。自分はなにがしたいのかもわからない。

なにものにもなれない自分がいる。

いや、なったら、なったでまた別の悩みが増えるんだろなーと感じる。

結局生きるということは、常に不安や、悩みと向き合うことなんだろう。

人はそういった不安や悩みから逃れるためになにかに縋る。

酒やギャンブル、男、女、承認欲求など様々なことに狂ったように縋る。

適切に不安や悩みの解消をしなければ、余計に人生がおかしくなる。

安らぎや快楽を得るためにはじめたのに、やればやるほど自分を苦しめていく。

そうやって本当に幸せなのだろうか?

自己犠牲の精神で働き、それで受けた傷を癒すためにまた、お金を使う。

永遠と続くループのように思える。

そういうときにふと考えてしまう、生きるとはなんだと。

同じような毎日の繰り返し、それを寿命が終えるまで全うする。

多分普通に働いているほとんどの人はこんな感じなのではないだろうか?

みんな先のことは考えないように生きている。

考えてしまえば立ち止まり、足元から崩れていくような感覚に襲われる。

案外みんな病んでいるのかもしれない、テレビで見る幸せそうな人も病んでいる。

自分与えられた役割を演じているだけで中身はぐちゃぐちゃ。

本当の幸せとはなんだろうか?

 

 

 

書くことで救われる

ある程度気持ちの整理がついた。

今の自分の心はとても穏やかだ。

書くことはとても頭がスッキリする。この感覚がずっと続けばいいと願う。

人生なにがあるかわからない、ふとしたことで簡単に崩れていってしまう。

積み上げていくのはとても時間がかかる。しかし、崩れる時は一瞬だ。

だからそうならないようにつねにびくびくおびえながら生きていく。

もし解放されたいのなら、はじめからなにも積み上げなければいい。

なにも積み上げてこなかった人生、それも一つの生き方だろう。

どういう生き方をしても本人が満足していれば問題ない。

今はSNSなどが発達し、簡単に人と比べられることができる。

それで精神を病んでしまう人も多いのではないだろうか。

私は極力見ないようにしている。

このブログも頭を整理するためにかいている。

普段は言えないことも、文章にして書くことで、今の自分の気持ちや考えかたがある程度整理され、客観的にみることができる。

私は文字を書くことで今の自分の現状を正しく把握することができる。

苦しい時、悩んでいる時は、ありのままの気持ちを書いてみることをおススメする。

一人で考えこむより、文字にしてみるととても気持ちが楽になる。

私はこれからも続けていきたいと思っている。

絶望

いつまでたっても成長しない、いつまでこんなことが続くのだろうか、不安な毎日孤独との闘い、 こんなはずじゃなかったと叫ぶ、やりたいこともない、ただぐちを並べるだけの日々つかれたつかれた、なんにもしてないのにつかれた、ほかの人が羨ましく思う。

表面では、取り繕っていても、こころの中は、ぐちゃぐちゃだ。

普通とはなんだろうと考える。なにもしてないのに追い込まれる。

学生時代のころは、「普通なんてごめんだ」と調子に乗っていたのに、普通の生活ができなくなった瞬間にこれだ。

自分の無能さに辟易する。

なにかをやろうとしても続かない、いやな考えばかり思いつく。

何も踏み出せない。ただ、時間が過ぎて、無駄に歳をとるだけ。

若い時にしかできないような、貴重な体験もすることもなく。歳をとる。

そりゃ、焦る。

恋人が欲しい。 とりあえず働いてみたらと、言われることがある、しかし、働くにしても、スキルが溜まっていく仕事じゃなきゃ、ただの時間の切り売りになる。

ではスキルの溜まる仕事につけばいいじゃんと思うだろうが、なかなかうまくいかない。

いろいろやってみたが挫折し長続きしない。

興味のない仕事は続けれない。

なら、興味のある仕事をしろよ、というが、そういう仕事もないんだわこれが。

本当に惰性で生きている毎日、ニートになったら幸せかと思っていたが、ちがった。

悩みがないのに悩み続ける。なにかに追い詰められる日々。

無駄に時間、若さを消費し続けるだけの日々。

私だって働いている時代はありました。

でもそのときはお金に余裕があっても心には余裕がなかった。

当たり前のように、残業をし、当たり前のように休日出勤。

仕事が終われば帰ってねるだけの日々。

テレビもつけることなく、シャワーをあびて、すぐに寝るだけの日常。

毎日考えた。このまま仕事だけをして歳をとっていくのだろうか?

幸せとはなんだと。お金があっても幸せではなかった。

人生を楽しんでいる人が羨ましかった。

若いときにしか味わえない日常を楽しみ。

若い時にしか付き合え会えない恋人がいる。

自分にはなにもない。

かけがえのない時間を無駄にしているのかと。

そして私は仕事をやめ、ニートになった。

さきほど書いたとおり、ニートになっても幸せにはなれなかった。

働いても精神的に追い込まれ、無職になっても追い込まれる。

いったいどうすれば解放されるのだろうか?

ただ、心のそこから毎日が幸せと感じたい。 不安から解放されたい。

私の望みだ。

 

低所得者

  

 低所得者とは賃金が少ない者、つまり金がない人のことである。

今の時代、フルタイムで働いても、手取りが20万もいかないことなんてざらにある。

正直生活保護でも受けたほうが幸せなじゃないかと思う。

朝から夜まで働き、それでも満足なお金を手にすることはない。

時給が上がったと思ったら、物価が上がり、余計に貧困に陥る。

本当に辟易する。

 それでも生きるために仕方なく働く、夢も希望もなく。

  よく低所得は自業自得という言葉を受けることがある。

 傲慢にもほどがある。

世の中自分の力ではどうにもならないことがたくさんある。

時代や環境、親や教育、ただただ運がなかったときもある。

それにみんながみんな強いわけでわない。

自己責任とは強者の持論でしかない。

それを低所得でも生きている人にぶつけ、気持ちよくなっている奴が多すぎる。

 

ミニマリストやってみて感じたこと

こんにちは、ミニマリストをやって1年が経ちました。

今回は私がなにを捨て、どう変わったのかを書かせてもらいます。

 

     1   本を捨てた

 

  私は読書家なのでこれだけでも見違えるくらいにかわりました。

  まず本の断捨離を行い、いらない本は売りに出しました。

  そして本棚を片付けて部屋のスペースが広くなりました。

 本を捨てる時のポイントは1週間以内にまた読むかどうかです。

 自分の部屋を見てください、本に埃が溜まっていませんか?。

  そういう本は思い切って捨てましょう。

  部屋のスペースが広くなり掃除が楽になり、清潔感もでました。

 本を捨てるだけでもとても変わります。

どうしてもまた読みたい本があれば電子書籍を買うことをお勧めします。

 

   2服を捨てる

 

  これはかなり悩みました、服といえば、春夏秋冬ありますし、量も多めです。

 ポイントはその季節に着る服を3着にまとめることです。

さらに少なくするのならオールシーズンで着れる服をそろえるべきです。

服を少なくすると、服を着るときに悩む時間が減ります。なによりタンスがすっきりします。 とても楽になります。

 

 

  3使わない家具または電子機器を捨てる

 

  なんとなく買って一度も使ってないものありますよね。

 私の場合はホームベーカリーです。ノリで買って一度も使ってません。

あとは痩せようと決めて買ったダイエット器具など、あげればきりがありません。

そういうは使わなきゃただの置物、またはゴミです。 捨てるか売りましょう。

物を買うときには長期的にみて使うのかどうか考えてから買うようにすることを心がけます。

ある意味お金の上手な使い方を学べます。 

 

 

どうでしたか、私が実践して感じたこと。

今すぐにでもできることです。なにより、部屋がとてもきれいになります。

私はいらないものを買う習慣がなくなり、お金が貯まりやすくなりました。

無料でできお金も増える、いいことづくしでした。

これからの長い人生を考えるととても良い習慣を身に着けることができました。

 

 

 

 

 

 

  

無敵の人

最近、酷い事件がおこってますね。そのなかでよく、無敵の人っていうワードがちょくちょくでますね。

無敵の人の定義は、失うものがないから、犯罪しようと、なにしようと問題ねーよ、ってな感じで染まっている人を無敵の人といいます。

 

そういった事件がおきるたびに、怖いとか、酷いとか、それ以前に、自分と犯人の距離感はあと何センチなんだろう?と思います。

誰もが無敵の人になる可能性を秘めており、無敵の人になる一歩ギリギリの状態で生きている人が沢山いるということです。